蒔いたタネを刈り取る
霊的真理を探求するブログなのに、そういうテーマの記事をひとつも書いていないことに気づいたかなりあです(´Д`;)
前世療法の記事なんか必要ないよな…
さて、今シルバー・バーチの霊訓を読んでいるところ。
(※シルバー・バーチの霊訓についてご存知ない方は宗教か何かだと思われるようですが、宗教ではありません!高級霊が霊媒を通して語った霊的な真理です)
その中に、小学生の時にかなりあが感じていたことを彷彿とさせる部分があったのでブログに書いてみる。
義務教育の間って、毎年のように平和について学ぶよね。
戦争についての勉強となると、みんな嫌がっていたと思うけど、かなりあは全然苦ではなかった。
むしろ興味アリアリだった。
小学校6年生の時、沖縄戦についての授業があったわけだけども、もちろん感想文の提出があった。
その感想文を書く際に、かなりあには疑問がわいた。
「戦争ではこんなに大変なことがありました、こんなにたくさんの人が亡くなりました、って学校では教えられるしTVでもそのようなことを言うけど、戦争って人間が始めるものよね?
戦争=人が人を殺すことだと承知の上で始めるのよね?
それを“こんな被害を受けました、戦争は悲惨です”みたいな授業ってどうなの?
大戦当時の人たちが始めた戦争なのだから、その責任は当時の人たちにあるのでは?
戦争を始めたんやから、そりゃ爆弾も落とされるし敵も攻めて来るよ。
それを現代に生きている自分たちが、“かわいそう、かわいそう”って言うのも違う気がする。
戦争をしない世の中にしていくことが大切なのでは?」
↑このようなことを感じて、実際に感想文にも書いた。
今考えても変な子どもやwww
そして担任の先生に
「人の命を何だと思ってるんですか?
爆弾が落ちてくる中、必死で逃げた人たちのことをかわいそうだとは思わないんですか?」
ってめちゃくちゃ怒られたwww
これをきっかけに、“良い子”な意見でないと人に叩かれるんだなあということを学んだよ…(´・ω・`)
シルバーバーチの件に話を戻そう。
その“シルバー・バーチの霊訓”の中に、かなりあの疑問のヒントとも言えることが書いてあったよ。
「人は戦争が起きると“なぜ神は戦争を中止させないのか” “なぜ神は戦争が起きないようにしてくれないのか”と言って私たちを批難します。
しかし神の摂理をみずから無視しているかぎり、その責任は人間自身にあります。
自分の行為による結果だけは避けようとする、そういうムシのいい考えは許されません。
神の摂理は私たちも変えることはできません。
蒔いたタネは自分で刈り取らねばなりません。
高慢、嫉妬、怨恨、貪欲、悪意、不信、猜疑心──こうしたものが実れば当然のことながら戦争、衝突、仲違いとなります。」
蒔いたタネを刈り取る、起きることは全部そういう風にできている。
かなりあが小6の時に思ったことも、あながち間違いではないのでは?
ちなみにシルバー・バーチの霊訓などの霊的真理は、「時期が来た人」にしかその良さは分からないらしい。
そして余談やけど、江●啓之あたりの霊能者がシルバー・バーチの霊訓等の霊的真理を巧妙に利用しているようだけど、そんなのもってのほか。
“蒔いたタネは自分で刈り取る”ので、遅かれ早かれ人を騙した埋め合わせはしなければならんけどね。
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